ストレスを克服するために、自分の感情を分析する

心の療法
スポンサーリンク

現代病になるのは、不摂生やら食生活に大きな要因はあるが、それだけではなくストレスが原因で引き起こされることが多い。

病は気から、というが、事実であって、東洋医学は気の巡り、ホリステック医学は、心の動きによって処方される場合が多い。フラワー療法という自然医学があるのだが、その人の心配事や性格によって、フラワーエッセンスを飲んで、治していく。心や性格の偏りが正常になれば、身体の病気も治るという療法だ。

これは動物療法もあり、動物もショックを受けたり、性格的なもので病になるので、そこから癒やしていくというもの。私は今、栄養学の勉強中で、まだ手つかずだが、試してみたいと思っている。

スポンサーリンク

キリスト教会での哲学的学びの場

親戚の叔父さんは阪神大震災で家を失い、避難所で暫く生活していたが、急に糖尿病になってしまって、苦笑いしながら「今まで、まるで兆しもなかったのに」と首を捻っていた。

その後、糖尿病はストレスでも引き起こされると知った。

 

私はパートナーに借金を押し付けられて、逃げられたとき、十字架に呼ばれているような気がして、パブテスト教会へ3年ほど通った。

新約聖書は1冊持っていたのだが、一人で読んでいてもわからず、聖書の意味を知りたいと、教会の夜の聖書勉強会に、思い切って顔を出したら、日曜礼拝へ誘われた。日曜礼拝が教会の本質だからだ。

しかし通っていても、聖書とは?キリストとは?神とは?など深い道理は分かる訳もなく、ただ、日曜の礼拝の後、15人ほどのお喋りの会があるのだが、これは楽しかった。

年配の女性が殆どだったが、一人ずつ、この日の牧師の説教について感じたことや、1週間の出来事やらを述べていき、皆が聞いていくというスタイル。キリスト教の歴史を殆ど知らない私は、最初は戸惑ったが、皆が、正直に心のままに話されるので、すぐに溶け込んで、自分も感じるままを述べることに面白味を覚えた。

そうして、自分の存在、社会との関連、他人がどう思って生きていくかを紐解いていく。何気ない出来事が、そこに繋がっていたのかと発見することもあったし、他の人の経験や感じ方も学ぶことができた。

参加者の大抵の方が、子供の頃や若い頃にクリスチャンになっているので、長い歴史もあり、濃い繋がりがあるのかと思ったが、皆、ベタベタと群れてはいない。

他人や物事を冷静に観察して、優しく解釈する人も居れば、厳しく評価する人も居る。そこは世間と同じなのだが、非常に知的な方が多く、宗教というよりも、哲学の学びの場であった。

「人間とは何か?」を追求する場所であった。他には、こういう場は他にはなかなか無いので、礼拝に行かなくなってからも、懐かしく思う。

スポンサーリンク

皆、恨みつらみの人生やね・・

教会へ行かなくなったのは、このまま通い続ければ、洗礼を受けねばならない空気になってきたのと、店を乗っ取られるという事件が起こり、生活苦になったことが大きい。

教会へ通って、この苦しい状況を脱せられるよう神頼みしても、お金に逼迫する状況は変わらず、宗教に頼ろうとする自分が馬鹿に見えてきた。

とにかく必死で働くしかない。が、手に職のない50代では雇ってもらえる所もなく、売れる商品を調べて、仕入れし、ネットで販売し始めた。この仕事もなかなか大変で、常に不安定、保護した猫が次々に子供を生んだりしたので、この頃から自律神経疾患に悩まされ始めた。

教会でとても優しくしてくれた、当時72歳の女性が居た。明るくて楽しい人で、「教会の建物はもう要らないのでは?欧州ではそういう動きがあり、パリでは喫茶店でこういう集会をしているそうよ」

と、言っておられた。私は洗礼する気はないが、聖書についてやキリストについての討論はしたいので、日本でもこういう場所があればいいなぁ、と思った。

その女性は教会の前で、信者の人達に「おはよう、最近どう?」などと気さくに声を掛けていて、皆に好かれるせいか、いろんな悩みを打ち明けられていた。

そして「結局、皆、恨みつらみの人生やね」と、私にポツンと話してくれた言葉が鮮明に残っている。

人生の終盤に来た人達だが、いや、だからこそ、思うようにいかなかった人生を恨んでいるという。キリスト教信者であれば、ある意味救いを受けて、心豊かに生きているのか、と思っていた私は衝撃を受けた。

Tさんもそうなのだ。夫や周りの人の愚痴をこぼすが、本当は同じなのだろう。

スポンサーリンク

苦しいとき、その感情を分析してみたら・・

私は目覚めたときに、とても苦しい日々が何年も続いていた。こんなに苦しいのならなら、もう死んでしまいたいと、思ってしまうときもある。

宗教や哲学やスピ系の本を読み漁っていると、実際に何も起きてはいないときにも、心や感情だけで苦しむ、と知った。なるほどと思い、この感情がどこから生まれるのかを、分析してみることにした。つまり、客観的に観察するということ。すると、

苦しい、と思う感情の先に居るのは、「子供や孫に囲まれて、幸せそうに暮らしている従姉妹」であったり、「幸せな結婚をした新婚の美しい姪」だったり、「ソウルメイトのように、夫婦仲睦まじい他人」であったりする。

これには我ながら驚いた!仲のいい家族を持って、幸せそうな人達を妬んでいるのだ。従姉妹も姪も、別に仲悪くも仲良くも無いし、付き合いもない・・何故なのだろうか?

(また、TVやネットで、自分の望んでいる環境の中で生活している人や、暮らしをエンジョイしている人、思いやり合っている夫婦を見ても、羨ましい~という嫉妬が起こる。)

結局、自分が望んでいるものを持っている人、わかりやすい身近な親戚を妬みの対象にしていたようだ。彼女たちを思い浮かべ、比較して自分が嫌になっていた。

過去にもう少しこう行動すれば、もっと賢ければ、もっと謙虚であれば、・・と後悔がぐるぐると周り、苦しむ。まさに「自分の人生を恨みつらんでいる」のである。

そして先には、「こういう自分が嫌い」という感情が湧き上がり、根深い苦しみを作っていく。

心理カウンセリングやスピ系カウンセリングでは、この「自分が嫌い」という感情を克服して、自分を好きになろう、と書かれているが、簡単ではない。

 

そこで、まずは「妬み恨み」から克服することにした。

「魂は、親を選んで生まれてくる」とは過去に聞いていたが、半信半疑・・。なら、どうしてこんな家庭?、こんな人生に?と殆どの人は思うそうだ。

自分が望まない環境に生まれ育ったも、それは「魂の成長」のために、自分が選んだのだそうだ。ここ、納得行くような行かないような・・

だが、これを信じさえすれば、嫉妬を克服できる。絵に描いたような幸福な人々は存在するが、自分の魂はそんな人生では、駄目なのだ、と悟る。実際、私の場合はそうであった。

波乱万丈の人生で苦しみ多く、「苦しいことのみ多かりき」と詠った、林芙美子の言葉には共感していたが、その苦難があったがために、少しずつ成長できている。何より、自分の器の小ささに気づくことが出来た。

そして、自分に与えられた環境の中で、恵まれているものに感謝をする。それは他人に自慢するものというわけでなく、空気だっていいわけだ。空気が無ければ生きていけないから。

もし裏切られたり、酷い目にあっても恨まず、成長する機会を与えてくれた!と思う。負だけが目覚めさせることができるのだ、と確信する。

まだまだ完全にはできないが、そうすることによって、苦しみから少しずつ解放されるし、人付き合いも変わっていく。

自分を好きになることは、すぐには出来ない。私は完璧主義のところがあるので、失敗したことをなかなか許せないでいる。特に、救えなかった猫達への懺悔が大きい。

最近、その思いで胸が張り裂けそうになった時、般若心経の本を開けたら、心が落ち着いてきた。「是諸法空相・・=この世のすべての存在には実体なし。」

心の療法
スポンサーリンク
スポンサーリンク
フォローする
スポンサーリンク
猫と私の自然療法養生記

コメント